<研究業績>
大村 智 博士が主導する北里研究所創薬グループは、1965年来、微生物の有機化合物生産能を人類の福祉と健康に役立てることを目指し、先端的研究を続け、今日に至っている。
先ず、有用微生物の新規分離法を導入してこれまでにKitasatospora属、Longispora属、およびArbophoma属など、13新属をはじめ、42新種の微生物を発見した。
次いで、これらを含む土壌分離株から抗生物質を始めとする生理活性有機化合物を見出す新規探索系を確立し、これらを用いて470種余りの構造的にも生物活性面においても興味ある新規物質を発見した(Splendid Gifts from Microorganisms, 4th Ed. (2008), Tetrahedron, 67, 6420 (2011))。内、26種の天然物またはそれらの誘導体は、医薬、動物薬、農薬および研究用試薬として多く使われている。以下に代表的な化合物について発見年代順に概要を述べる。
大村博士によって分離・構造決定および作用機序が研究された真菌Acremonium caerulens によって生産されるcerulenin は世界最初の脂肪酸(脂質)生合成の阻害剤として注目を集め、後のコレステロール合成阻害剤スタチン類の発見、開発の先駆物質となった。また、現在でも研究用試薬として重要視されている(J. Antibiot, 20, 349 (1967)), Bacteriol. Rev., 40, 681 (1976)).
微生物の生産するアルカロイドの探索の中で発見したstaurosporine は発見後10年余りして、これがプロテインキナーゼCの阻害作用を有していることが見出された。プロテインキナーゼCと発ガンとの関わりが注目を集める中でこのstaurosporine の発見は、後にこの物質の構造と生物活性の研究が抗がん剤の開発に大きなインパクトを与えることとなり、最も多く使用されている重要な抗がん剤imatinib (Gleevec®)やGeftinib (Iressa®)などの開発に結びついたことは、よく知られている(J. Antibiot., 30, 275 (1977), J. Antibiot., 62, 17 (2009), Chem. Rev., 113, 6761 (2013). 一方では、staurosporine は細胞情報伝達などの研究に用いる生化学研究用の試薬として最も多く使用されている天然物と言われている。この化合物を研究に使って発表している科学論文は最近20年の間、年平均で600報にのぼっている。
米国メルク社との共同研究によって発見・開発したStreptomyces avermectiniusの生産するマクロライド抗寄生虫抗生物質avermectin のジヒドロ誘導体ivermectin は、動物薬として畜産およびペットに使われ1981年発売の翌々年より20年余り世界の動物薬売り上げNo. 1の位置を保った。これは、またヒト用抗寄生虫薬 (Mectizan)としても開発された(Antimicrob. Agents Chemother., 15, 361 (1979), Nat. Rev. Microbiol., 2, 984 (2004))。WHOおよび関連機関による2つの重篤な熱帯病、オンコセルカ症およびリンパ系フィラリア症の撲滅プログラムがメルク社および北里研究所によって無償供与される本薬剤を用いて展開されている。本薬剤は2012年1年間に2億2千万人に投与されており、前者は2025年に、後者は2020年に撲滅を達成できる見通しが発表されている(WHO Second Report on Neglected Tropical Diseases “Sustaining the drive to overcome the global impact of neglected tropical diseases”)。前者は中南米では既にほぼ撲滅を達成しており、目下アフリカに於いて本プログラムが大きく展開されている。Avermectin を生産する菌は大村博士らが発見したS. avermectiniusが唯一のものであり、現在でも本菌が工業的生産に用いられている。以上のことによりavermectin の発見は当時四半世紀最大の発見、あるいはペニシリンの発見に匹敵するとも言われている。
また、他のマクロライド抗生物質leucomycin, tylosin, spiramycin, erythromycin などに関しても構造、構造と生物活性等の研究にも優れた業績を挙げている。Leucomycin の誘導体rokitamycinとtylosin の誘導体tilmicosin は医薬として実用化された。
これらの他に大村博士によって発見されたlactacystin (J. Antibiot., 44, 113 (1991))およびherbimycin (Tetrahedron Lett., 20, 43213 (1979))については、後に前者はproteasomeを、後者はHsP-90を阻害することが判明し、Lactacystin が抗がん剤Bertezomib (Velcade®) (Neoplasia, 7, 1104 (2005)) の開発の基となったように、多くの関連物質が抗がん剤として開発され、或はされつつある (Tetrahedron, 67, 6420 (2011))。これらはまた、生化学的研究の試薬としても広く使われており、lactacysin は2004年にノーベル化学賞を受賞したA. Hershko教授 およびA. Ciechanover 教授の「蛋白質分解制御の仕組みの発見」に大きく寄与した。
これまでに汎用されて来たネオニコチノイド農薬が環境問題で使われなくなっており、代わる農薬の開発が熱望されている。このような折に大村博士等によって発見されたpyripyropene (J. Antibiot., 46, 1168 (1993)) の誘導体が優れた抗昆虫(アブラムシなど)活性を有していることが判明し、農薬としての開発がMeiji Seika Pharm およびBASF(独)との共同で進められ、最終段階に入っており、2〜3年後に発売される見通しである。
その他、ミトコンドリアComplex IIの強力な阻害剤atpenin A5、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤arisugacin A、長鎖アシルCoAシンテターゼ阻害剤triacsin Cなどが研究用試薬として広く使われている。Triacsin C (J. Antibiot., 39, 1211-1218 (1986)) は2013年のノーベル医学生理学賞受賞者のJ. Rothman 教授の研究に使用され「蛋白質を包み込んだ小胞が目的の場所に運ぶ仕組みの解明」に多大な貢献をした(Cell, 59, 95-102 (1989))
以上のように大村博士らによって微生物生産能力を引き出して得られた天然有機化合物は、医薬・農薬あるいは生化学研究用試薬として使われ、人類の福祉と健康の向上に多大な貢献をしている。
上記探索研究と平行して大村博士は、微生物の物質生産能力の詳細を明らかにし、これを人類に役立たせるために20世紀後半から微生物の生合成遺伝子の解明と応用の先端的研究を進めた。
先ず、avermectin 生合成経路の一部がブッロクした種々の変異株を取得し、それらの生産する各種生合成中間体(precursor)を採取して生合成経路の概要を把握した(J. Bacteriol., 169, 5615 (1987))。次いでそれら変異株の変異箇所を染色体上で特定し、これを起点としてavermectin の生合成に関わる17個の全遺伝子をクローニングすることに成功した。さらに遺伝子それぞれの機能を明らかにすることでavermectin 生合成機構の解明を完成させた(Chem. Rev., 97, 2591 (1997))。
次いで、この生産菌S. avermectiniusの全ゲノム解析を世界に先駆けて成功し、この放線菌がavermectin の他に37種の有機化合物(第二次代謝産物と呼ばれる)を作る遺伝子を有することを明らかにした(Proc. Nat. Acad, Sci., USA, 98, 12214 (2001), Nature Biotechnol., 21, 526 (2003))ことは、この研究領域に携わる研究者を驚かせ、また世界的に高い評価を受けた。
現在、微生物の生合成遺伝子を操作する(genetic engineering)ことで新規な物質を創製する研究が盛んに行われているが、大村博士が英国のDavid A. Hopwood博士との共同研究で世界最初の遺伝子操作による新しい抗生物質、mederrhodin を創製した(Nature, 314, 642 (1985))ことは、この領域の研究の先鞭を付けたものであり、特筆に値する。この遺伝子操作による新物質創製は、微生物の物質生産能の幅を一段と広め、今後の発展が期待されている。
以上のように、大村博士は新規微生物および優れた抗生物質を始めとする生理活性物質の発見とそれらの応用研究、次いで将来に向けて微生物物質生産能力を一層引き出すために生産する有機化合物の生合成およびそれに関わる遺伝子の解析を行い、生産菌の物質生産能の解明と遺伝子操作による新規物質の創製へと絶えず微生物バイオテクノロジーの先端的研究を行い、この領域の研究を牽引して来た業績は世界的に極めて高い評価を受け、関連する諸学会の最高位の各賞を受賞している。 (Mar., 2013) |